フィリピン編

■マブハイ フィリピン!!

at 2001 04/12 10:28 編集

12時過ぎに、マニラ国際空港へ到着した。入国手続を終え税関を出ると、悪名高きピラニアのようなタクシー軍団が待ちうけている。その手前まで歩くと、例の金網の檻のような出迎えのエリアに着く。遠くから私を見つけたのだろう。「Nike‐san!」と呼ぶ声が聞こえてくる。いたいた。指を下に向けて合図をしているので、戻って階段を降りた。そして出迎えの場所のゲートの前で、彼女達2人と再開した。彼女達の名前は、メルセデスとシンディー。メルセデスはセブの出身だ。私自身、本当に待っているとは思っていなかったのでキツネにつままれたような気分だった。よっぽど暇なんだろう。フィリピンじゃ何にもやることがない。口々に、日本へ行きたい〜〜なんて言っている。
彼女達と空港を出て、ジプニーの停車しいているところまで10分ほど歩いた。暑い!
ロハス通りを走り、昔から私が泊まっていた定宿、「ブルーバード・マンション」へ着く。
フロントへ行くと、なつかしい顔があった。6年間毎月お世話になっていたエミリオがいた。今は、フロントマネージャーになったらしく、ちょっとエラそうだった。昔はこのホテルの入口で用心棒のようなことをやっていたヤツだ。決してドアマンではなかった。昔、彼とよく裏のマビニやデルピラールの通りで遊んだ仲だ。今回も2人の女の子を連れているので、彼からの挨拶は一言、「バストス」だった。「タルン」と同じ意味。
今の宿泊料はいくらかはわからないが、日本円で800円で泊めてくれた。多分3000円ほどはするんじゃないか? 3階の部屋に入って、シャワーを浴びたかったので、2人にあっちへ行っていろと言ったが、笑うだけで、私を見ている。「おまえ達の前で、ストリップはやらないの!!」 200ドルを渡し、両替に行ってもらうように頼む。ついでに「マンゴー with バゴオン」とサンミゲルを買って来いといって、追い出した。この「マンゴー with バゴオン」、私の大好物だし、フィリピン人の大好物でもある。何かといえば、日本で普通に食べるマンゴーは黄色くて甘い。しかしこの食べ物はマンゴーの若い青い実をリンゴのように剥いて切り、バゴオンという日本の塩アミってわかるかな? 釣りのコマセのアミ。あれをフライパンで炒めて味をつけたフィリピンの味噌のようなもの。この組み合わせが日本人にもハマルと思う。ちょうどタイのソムタムのパパイヤの若いのを味噌を付けてかじるようなもの。
シャワーを浴びて着替えていると、彼女達が帰ってきた。食べながら私の予定を話した。
明日、セブかネグロス、パナイ、ボラカイのどこかの島へ行く。帰ってくるのは4月2日の午前中。午後の便で日本へ帰る。ザッとこんなことを話した。すると、2人はタガログ語で相談しだした。内容はを聞いていると、あまりにも笑っちゃうのでビールを吹き出した。「私達もセブに行く。メルセデスも実家に帰っていないし、セブまで一緒に行こう」という。私自身、思ってもいなかったのでオッタマゲたが、道中、話し相手が居るのは楽しい。急いでチケットを取ろうと、メルセデスが旅行会社へ電話をする。行きは明日の夕方出発の船で行く。帰りのセブからマニラの私の飛行機も予約した、と言うことを私に告げた。あ〜〜〜、何て楽チン。私設秘書を雇った感覚だ。後でマカティーの旅行会社へ行くことにして、彼女達は一旦帰って、荷物を持ってくるという。おいおい、今夜は3Pかよ? と思ったのは男として当然のことだった。
でも、できるわけないでしょ? 私マジメなんだから…
彼女達が出ていった後、衛生放送の日本のテレビのニュースを見て暇をつぶした。広島で地震が起きたこと、株が急騰したことなど、ジャングルから救出された横井さん状態で、ニュースに釘づけだった。
4時前に彼女達が戻ってきた。そして3人で、マカティまでジプニーで行って、チケットを手に入れた。私の考えでは、帰国までにマニラに滞在できるのは、今日と明日の夕方まで。マニラにも会いたい人がたくさんいるが、2人が邪魔だ。追い返す訳にも行かないので、付き合ってもらうことにした。
電話で数名の知人に今マニラにいることを伝えると、今夜、パーティーでもしようと言うことになり、メトロマニラの「カマヤン・レストラン」に集合することになった。



■「カマヤン」手掴みレストラン

at 2001 04/17 16:14 編集

カマヤンてなんだろう? フィリピンでは通常、食事はフォークとスプーンを使って食べるのが基本。
ん? ナイフは? 無いんですよ。
そうなんです。フィリピンでは基本的にナイフが出てこないんです。なぜかって?
スペイン統治時代、フィリピンの人にナイフを持たせると反乱を起こさせる要因になるとかで、ナイフ禁止令を出してしまったそうです。ですから、今でもその名残が残っていて、彼等は器用にスプーンをナイフ代わりに使って食事をします。慣れるとこれが以外と使いやすいんです。右手にスプーン、左手にフォーク。ちょっと試してみて下さい。
そして「カマヤン」とは、昔からの食事のスタイルで、要はインド地方などの手で食べるスタイルのことを言います。今でも、フィリピンのミンダナオ島、ビサヤ諸島、ルソン島など至る所で見ることができます。日本に来ているフィリピンのオネーチャンも上手に食べますよ!
食べる時は、右足の膝を立てて、膝の上に右手の肘を乗せて食べます。日本では行儀が悪いと言って、叱られそうな格好ですが。
塊などの固形物は以外とラクですが、ご飯とスープなど汁系をかけて食べる時が問題です。お米がパラパラなので、人差し指、中指、薬指の上にお米を載せ親指で押しながら口に持って行き、口の前で中指でお米を押し出すように口に入れます。慣れないと口の前でバラバラと崩れてしまいますが、これも練習次第で上手になります。
そんな手で食事をするレストランが、「カマヤン・レストラン」です。このレストランはマニラでも有名で、ガイドブックにもよく載っています。

集合時間は7時ということで、6時過ぎに久し振りに襟のついたシャツとスラックス、そして靴下を履いて靴を履いた。あ〜〜、何て気色悪い!! 10日ぶりぐらいに靴を履くと、文明人になったようだ。ヤッパリゴム草履がいいけど、多分今日はみんなおめかしをしてくるのだろう。フィリピン人は、みんなで集まる時などは、目いっぱい着飾ってくる。
2人のネーチャンも、私の前で恥じらいもなく着替えている。おいおい、おレは男だぞ〜〜!! 彼女達、完全に私を無視してパンツ姿! 目の保養どころか、私が恥ずかしくなってしまった。こんな所がアジアンだと思う瞬間だ!

6時半頃、宿を出てると目の前はロハス大通を挟んで、夕日の綺麗なことで知られる有名なマニラ湾がちょうど夕日がオレンジ色に落ち込む所だった。絵葉書の写真そのものの風景。
その夕日を左に見ながらリサール公園まで歩く。日曜日はこの通りは歩行者天国になって、私はよくジョギングをしていたところだ。
リサール公園、メトロマニラを代表する公園で、日本からのツアーの観光では必ず立ち寄る場所だ。しかし、夕方から夜にかけては一変する。そう、若いオネーチャンが、茂みの中から突然飛び出してきて、「ひま? 遊ばない? 私以外にもたくさん女の子いるから、ちょっと見に来ない?」なんていうことが度々あった場所だ。近くの広場で遊んでいる女の子のグループに近より、どの子がいい? というあんばいだった。
今回もそれらしい娘が数人いた。
メルセデスとシンディーは、私にそっちを見ないよう注意をそらす。

公園をちょっと散策し、「カマヤン・レストラン」に向かうことにする。




■アッ 火事?? in マニラ

at 2001 04/20 23:00 編集


同じ場所を何度も旅行していると、昔、ここでこういうことがあったよな〜〜〜? なんて思い出すことが良くある。
メルセデス、シンディーの2人のフィリピン人とリサール公園から戻る途中、デルピラール通りを歩く。かつては、この通りはタイのパッポンのような華やかさがあったのだが、マルコス失脚の跡、健全な通りへと変わってしまった。7時にはまだ早いので、昔、貴重というか危ういというか面白い体験をしたレストランを見に行くことにする。
そのレストランは「バリオ・フェスタ」。メトロマニラでも有名なレストランだ。行かれた方も多いと思う。
14年ほど前、商社時代に取引先のフィリピン人3人とそのレストランで、2時ごろ、遅い昼食をとっていた時だった。客はそこそこいたのだが、商談の最後の詰めの話しで値段交渉に熱中している時、私達は周りの様子がつかめなかった。ふと周りを見ると今までいた客がいなくなっている。従業員があわただしく、厨房器具を運んでいる。そのうちレジまで外に運び出している。私がどうしたのかと尋ねると、「今、厨房が燃えている!」「じゃあ、火事か?」「いや、そこまでは酷くない」「でも、煙がホールに出てるだろ?」などと問答をしているうちに、奥から物凄い火の手が上がってきた。これはもう完全に火事だ!
私達は商談の書類を急いでカバンに入れ、外に出てみると何百人という数の野次馬が見物している。後ろを振り向くと屋根の上には10メートル以上の火柱が上がっていて、消防車のサイレンの音が遠くに聞こえる。
「スゲー!」と感心していると、ポリスが「お前等は最後の客だ! ちゃんと金を払って出てきたのか?」何て言う。冗談じゃない! もう少しで焼け死ぬところだったというのに。それ以上は追求されなかったが、良く考えてみれば、食い逃げしてきた訳だが、状況があれではしょうがない。儲かっちゃった! なんて思っているところを“パチッ”とフラッシュをたかれた。そう、新聞社の写真を撮られてしまったのだ。
翌日、私の顔はマニラの朝刊に掲載され、見出しも『必死の脱出! 最後の客は日本人!』てな具合に書かれてしまった。この新聞、今でも大切に保管してある。なかなかアジアの新聞に顔写真入で出るなんて事はないから。
当時から付合いのあるフィリピンの友人は、みんなこのことを知っている。
今は新しく改装され、全焼したなんて面影は微塵も無いけど、私はこのレストランを見るとそんな昔のことを思い出す。でも、なんであのとき従業員が火事だと言うことを知らせず、こっちから聞いてから火事を知るなんて、日本では考えられないことが起きるのもアジアだと思う。なんでもあり!

カマヤンレストランへ行く途中、そんな寄り道をしてしまった。

なかなか、前へ旅行記が進まなくて申し訳ありません。





■Maligayang Pagdating!! (歓迎)

at 2001 04/29 16:55 編集

 随分と遠回りしてしまったが、7時ちょうどに「カマヤン・レストラン」に着いた。入り口を入ると、知った顔が何名も居た。挨拶もそこそこに一番奥のテーブルに移動する。途中、大きなカメの水で手を洗う。だって、これから手掴みで食事をするんだから!
私達3人を入れて総勢十四人のテーブルとなった。今日のメンバーは、昔、東京の歌舞伎町でディスコの生バンドをやっていた連中とその家族が多い。リーダー格のホセがヤッパリ言う。「バストス!」日本語で“スケベ”。そりゃメルセデスとシンディーを連れてくれば当然言われるのは分かっていたが、いちいち弁解するのも面倒なので、「ああそうだ。今夜はサンドイッチだ!!」と言って廻った。
食事はレチョンとバボイ・ニラガ、バボイ・アドボなど有名なフィリピン料理が出てきた。
レチョンとは子豚を串に刺して焼いたものを各自で皮の部分を切り取り、酢っぱいタレをつけて食べる料理。テーブルの上に子豚の丸焼きがデンとのっている。
バボイ・ニラガは豚の足の骨のスープ。バボイ・アドボはシチューのような煮物。バボイとは“豚”という意味。親しい友人から私はいつも“バボイ”と呼ばれている。
フィリピン人は基本的に生野菜はあまり食べず、鶏や豚などの肉や魚が好きだ。だからいつも思う。「こいつら、いつ野菜を食べるんだろう?」って。
お約束のサンミゲル・ビールで乾杯の後、世間話や今回の旅行などの事で話しは盛りあがった。彼等の娘が日本へタレントとして6人も日本に来ているのには驚いた。彼らと出会ったのはもう20年以上も前だから、そうなんだなって納得してしまった。彼等に帰りに住所を教えてしまったので、来日している娘達から電話攻撃が来るのかと、今でもビビっているのは言うまでもない。いや、もう攻撃があった。「Nikeさん? あそびにきて〜」「ひぇ〜、今どこ?」「ヤ・マ・ガ・タ」「パルンタガヤ〜ン(冗談じゃないよ!)」「Nikeさん、冷たいな〜 お父さんがNikeさんはいい人だし、私の友達だから大丈夫と言っていたよ〜」
「明日8時に来て〜」「私は東京。山形は遠いの! 行けないよ!」「いじわる」その後、ガチャである。もうまったく、困ったもんだと思っていたら、私の授業中に、ポケットの携帯がブルブルと振るえる。学生に「ちょっと待ってろ!」と言って教室を出て、トイレに駆け込む。案の定、別の娘だった。「今どこ?」「私、金沢」てな具合。普段、授業の時に学生に携帯電話をカバンの中に入れさせて授業をしている私だが、6人の娘は全員私に電話をかけてきた。一番私のいるところから近い娘は熱海温泉だった。いくらお人よしの私でも、そこまで行って酒を飲む元気はない。くれぐれも、飲み屋のおねーさんには電話番号を教えないこと!!

おっと、またしても脱線!
「カマヤン・レストラン」で食事の後、全員でタクシーに分乗してパサイ市のシェーキーズへ繰り出した。あの日本でもお馴染みのピザ屋だが、日本とはちょっと違う。夜はライブハウスとなってしまうのである。客も学生から年寄りまで雑多だ。みんなピザなんか食べている客はいない。フフレンチ・フライとビールが圧倒的に多い。私達もビールのピッチャーを注文し、ビールを各自に注いでから大声で「マブハイ!」と叫ぶ。やはりここはベトナムとは違った。タイでもない。紛れも無くスペインの血を引く陽気なフィリピンのマニラの夜だった。小柄なフィリピン人の中に合って、私はクマのように大きいのでみんなから注目を浴びる。私の後ろの席に座っていた若い女性が、「私は東京の上野で働いていた」と声をかけてくる。そう、今、マニラに行くとそんな会話を良く耳にすることは確かだ。それぐらい日本に彼女等は来ているのだ。テーブルのリクエストカードに「ステッペン・ウルフ」の「ワイルドで行こう!」と「ドゥービー・ブラザース」の曲2曲を書いてウエイトレスに渡す。ここは、自分の好きな曲をリクエストできるのだ。20分もしないで、ボーカルがリクエストカードを読上げた。「はるばる日本から私達のためにリクエストをしに来てくれました。Nike-San ちょっと立って下さい」何て紹介されちゃった。この時点で私は十分にアルコールが廻っている。恐いもん無し! ビールを片手に「サヤウ・タヨ!(みんな、踊ろうぜ〜)」と大声で叫んでしまった。元来、フィリピン人は踊りが好きな人種である。テレビでもラジオでもノリのいい曲がかかると老若男女、直ぐに踊り出す。私がこんなことを言ってしまったもんだから、ほとんど全員がイスから立ちあがり、気勢を発してしまう。心の中で「あ〜、やっちまった。でもいいか。」と思うまもなく、あの映画「イージーライダー」の主題歌「ワイルドで行こう」のノリのいいイントロが流れ出した。それまで、そこそこに賑やかだった店内が一瞬にディスコと化してしまった。ウエイターやウエイトレスも腰をくねらして踊り出している。見知らぬ客から「おまえ、今日は最高だぜ〜」みたいなことを口々に言ってくる。シンディーもメルゼデスも笑って踊っている。
こんなノリの良さはアジアでもフィリピンが最高だと私は思う。
実はこの時に一緒に食事をしたホセ達は、現在、このシェーキーズの専属バンドで、毎日10時半から明け方近くまで演奏をしているのだった。結構地元では有名で、テレビなんかにも出演するらしいが、私は見たことが無いので何とも言えないが…。シンディー達は知っていた。
今日は私との食事のために時間を作ってくれたらしく、彼等の演奏は、11時からだった。
途中、彼等は支度のため消えたが、11時になってステージに現れた。お客のテンションは最高潮! 70年代前半にはやった(彼等が歌舞伎町で演奏していた)ディスコの曲を立て続けに演奏する。気が付くと私はステージでタンバリンかなんか持って暴れていた。1時間も踊っていればみんな疲れてくる。スローなバラード「ユアー・エブリシング」の曲に変わったところで、明日のこともあるので帰る意思表示をホセにした。すると、ドラムのホセが「Nikeさんがここで帰ります。彼から皆さんへ1曲プレゼントがあります。」テなことを喋り出した。おいおい、聞いてねーよー?? そしてイントロが流れ出した。日本で昔、イルカが歌って大ヒットした「なごり雪」だ。前にも書いたが、この曲はフィリピン人なら誰でも知っているポピュラーな曲だ。ちゃんとタガログ語の歌詞まであるほどだ。
スポットライトを浴びてしまっては、日本男児として逃げる訳には行かない。度胸を決めてタガログ語の歌詞で歌い出すと、口笛や野次、拍手が沸き起こった。案外いいもんだ。調子をこいて、もう1曲歌うことにした。18年ほど前に流行ったフィリピン人の女性歌手、ティミー・クルスの「Boy」という曲。私もアジアの音楽は好きだが、特にフィリピンのこの彼女やシャシャ・パディリア、シャロン・クネタなどのテープを随分と買いこんで聞いていた。歌詞カード見なくても歌えちゃうんだから、よっぽどのオバカサンだと思う。
歌い終わってから、物凄い拍手を受けてホセ等と再会を誓いシンディーとメルセデスを連れて店を出た。出て分かったことだが、入りきれないお客が30人ほど入口で空席を待っていた。「あ〜、彼等を待たせた張本人はオレだな?」なんて思わないで、停車していたタクシーに乗りこむ。行き先は夕方行ったマカティーだ。何をしにって? 夜の遊び場の新規開拓! と行きたいところだが、2人のおねーさんをはべらせているので、店の前をうろつくだけにして、知人の日本料理屋へ行くことにした。





■Makati (マニラの地名)

at 2001 05/01 23:20 編集

マカティ 
フィリピンの商業地区でたくさんの日本企業が事務所を構えている場所だ。
私も過去、ここで働いていた? ではなく、ここのエリアの事務所に毎月出張で出入りしていた。ここは今、昼間はオフィス街だが夜はというと…
 マルコス支配の終焉以降、マニラといえばタイのパッポンなどに代表されるような歓楽街(マビニ、デルピラールという2本の通り)が、市当局の手によって排除されてしまった。そして、今その再来とも言えるエリアがここマカティなのだ。ゴーゴーバー、カラオケバー。なんでもあり。カラオケ・バーだったらパサイ通りにたくさんあるし、バンコクのパッポンのようなゴーゴーバーはブルゴス通りにニョキニョキと進出してきている。行かれる方は、この辺要チェック!! それからパサイ市のエドサ通りもいい感じ。
タクシーでその周辺を観察しながら、コマーシャル・センターの近くでタクシーを降りた。
目の前に「日航ホテル」が見える。
ここはショッピングモールやデパート、映画館などが入った複合ビルだ。その近くに、昔からの行き付けの和食屋があったのだ。和食屋と言っても外国へ行くとよく出てくる値段の高いレストランのような店ではなく、商社マンが日本の食事を気軽に安い料金で食べさせてくれる日本ではどこにでもある食堂だ。ここのマスターとは、昔、良くお世話になった。時間は12時過ぎ。開いているか心配だったが、店は開いていた。中には日本人の商社マンらしき人達が、1日遅れのスポーツ新聞片手に梅サワーかなんか飲んでいる。約10日ぶりの日本食の店だ。ことばも日本語が使える。5人ほどのグループが2人のフィリピーナを連れた私を見て、何かひそひそと喋っている。「良くやるよ。あのオヤジ」とでも言っていたんだろう。関係ねーよ! 何て思いながら席につくと、私と同じ年のマスターがやって来た。彼も元某有名商社マン。わけあって、退職し、フィリピン人の奥さんを貰ってこの店をやっている。彼とは、インターネットで良く連絡を取り合っているので、私がここにきたことも差ほど驚かず、私の前にキリンラガーを持ってきた。美味い。日本のビールは。久し振りに日本の苦いビールを口にした。立て続けに3杯飲み干して、持参のお土産を渡した。中身は「ふく屋の明太子」。こちらへ来る時、マニラで別れるシンディー達に頼んで、彼女達の冷蔵庫に入れてもらっていたのだ。だから、今回マニラに来て彼女達に会えなかったら、こんな芸当はできなかったのだ。
結構外国に住んでいる日本人にお土産を持っていく場合にあれこれと考えてしまうが、ほとんど今では何でも現地で売っている。こんなもん食べたがっているだろうと思って買って行くと、案外不評だったなんて事も経験された方もいらっしゃることと思う。
私も、過去、うなぎの蒲焼や佃煮、海苔などをお土産として持って行った経験があるが、ほとんど在り来たりであまり喜ばれなかった。
そして今回お土産として持ってきた「辛し明太子」。これは、今のところ当たっているし、リピートも多い。私は好みで博多のふく屋の明太子にしているが、このフィリピンのマスターも3回目のリピートである。これはどのエリアでもなかなか売っていないらしい。
早速、包みを開けてマスターが大事そうに皿に載せ、私たちのテーブルに運んできた。そして無言で白いご飯も。それも2つ。2人で大きな明太子をご飯に乗せパクついたのは言うまでも無い。美味かった〜。外国で食べるササニシキのご飯に辛し明太子。やっぱり、オレは日本人だ〜〜〜と感動する。その時、日本のことが気になり、マスターにCPを借りて、職場にメールを入れておいた。「Nke、ただいまマニラです」と。ついでにGaiaxの皆さんのページを久し振りに拝見する。スライドショーがなんとかとか、10日もいないと話しについて行けない。ちょこっと書き込みをして店を出る。
もう2時だ。眠い。
タクシーを拾って、宿に帰る。
私はシャワーも浴びずに、ベッドにバタンキュー。あっと、おねーちゃん2人は、私の隣のベッド2人仲良く寝ていた、と思う。記憶無し! ウソ!!





■いざ、セブ島へ  

at 2001 05/24 21:28 編集

 マニラに1日いただけで、よくもこんなに書けるもんだとわれながら感心してしまう。
昨日までの疲れと、お酒の力で9時過ぎまで寝てしまった。起きると、向こうのベッドでシンディーとメルセデスが寝ている。あまりの空腹に耐えかねて、私はホテルの裏にあるスーパーマーケットへ朝食を調達しに部屋を出た。
フィリピンでの朝食はどこの国でも同じようだが、無性にご飯が食べたかったので炊いたご飯を買った。炊いたご飯をポリ袋に入れてはかりにかけて目方で代金を払うシステム。それと、トヨというフィリピンでは普通に食べられている魚の干物のようなもの。アジの干物をカチカチに乾かしてちょっと腐りかけのような匂いのする干物だ。日本では網で焼いて食べるがここではフライパンに油をたらしてこのトヨを入れる。煙は物凄い匂いへと変身して行く。ちょうど日本の伊豆七島名産のクサヤを炙ったあの匂いとよく似ている。
これを、ご飯の上にちぎってのせながら食べるのである。正直言って、ウマイ!
こんな食事も、アジアンだ! 
トヨの焼いている匂いで、シンディーとメルセデスは起きてしまった。3人で朝食をとり、出発までボケ〜っとすることにする。外は30℃以上。歩く元気も無い。昼まで洗濯をしたりして暇をつぶした。
午後2時、チェックアウトをしてマニラの北にある大型客船が発着する港へと向かった。
短期間の旅行では、ほとんど飛行機などを使って移動するが、時間に余裕のある方には船旅をお薦めする。
何たって安い! 飛行機で2000ペソ約1時間の旅だが、私の買ったチケットは700ペソ(食事3食付き)で所要時間は24時間。これに保険料13ペソが追加されるが。決して快適ではない居住空間だが、地元の人と仲良くなれて、1人旅にはこのうえない話し相手ができる。
しかし、このマニラ〜セブ間の定期船で、20年程前、定員を異常なまでオーバーさせて沈没してしまった事件があった。1000人乗りの定員に対して2000人近くものせていたなんて話を聞いた事があるが、このニュースは日本でも当時流れていた。そんなこのが脳裏に一瞬掠めたが、もう気持ちだけは船旅の事でいっぱいだった。
私達3人は、サンミゲルビールを1ダース買いこみ、乗船した。自分たちの場所を確保して、船内探検に出かけた。スイート、キャビン、ビジネス・クラス、ツーリスト・クラス、エコノミー・クラスに分かれていて、一番上級はスイートクラス。この船は2800ペソだった。エコノミーはほとんどフィリピン人で外国人はビジネス、ツーリストクラスに多くいた。もちろん日本人の姿もあったが、エコノミーには私しかいないようだった。
食事の場所、ディスコの場所を確かめて、甲板に持参のサンミゲルビールを抱えて太陽の見える場所で落ち着いた。これから数時間後にあのマニラの夕日が眺められる。ビールを片手に落ちる夕日を眺めるなんて、最高の気分である。夕日が沈みかけると甲板は大勢の客で込み始めた。男女のカップルは手を繋いだり抱き合ったりして眺めている。私? もちろんビール片手に夕日を見ないで周りを見てました。
夕日が沈んだら、あたりはだんだんと暗くなり、大小の島から灯りが見え始めてくる。船は揺れない。まるで瀬戸内海を走っているようだ。景色もそんな感じ。
腹が減ったので、3人で食堂へ行く。大きなテーブルに大勢の人が食事をしている。メニューは1種類。上のクラスは選ぶ事ができるそうだが、エコノミーはそんなわけにはいかない。お待かねのディナーは魚の煮付けのような料理とご飯といった質素なものだった。ご飯をタップリ入れてもらい、空いたテーブルで食べ始めた。ここに外国人が来るのは珍しいのだろう廻りの客が次々に話しかけてくる。「お前は日本人なのになぜエコノミーにいる?」だとか「マニラで金をすられたのか?」とか訳のわからないことを聞いてくる。食堂でもアルコールを売っているので、たちまち宴会場と早がわりしてしまった。誰かがCDラジカセで曲を流し出すと、もうそこはディスコに早替り。乗組員が注意するのかと思いきや、彼等も踊り出している。まだ、自分としては踊るような状況ではないのだが、シンディーとメルセデスに手を引っ張られて、みんなの中へと入っていった。2時間たっても3時間たってもみんな帰らない。それより、踊りの輪が一段と大きくなってくる。食堂の従業員がテーブルを片付け出した。テーブルを片付けてしまうと、そこはディスコへと早替り。本当のディスコは上の階にちゃんとあるのだが、ここはただ! 食べ物は無いけど飲物は売っている。私達は夜中の2時過ぎまで暴れていたが、年寄りなもんで、2人を残して早々に引き上げた。
目を覚ますと、横に2人が座っていたが、彼女達は一睡もせずに踊っていたらしい。恐るべし、フィリピーナ!!




■ジンベイザメが見たい! in Philippines!!

at 2001 05/25 22:09 編集

時間は3月30日、午前8時。左手にレイテ島、前方にかすかにチョコレート・ヒルで有名なボホール島が、右手にはセブ島が大きく見え出した。朝食を食べてリュックの中からダイビングのマスクを取り出して磨きながら、さて、どこへ行こう? なんて考えていたその時、向こうから肌の真っ黒な、まさしくネグロス人というアンちゃんが私に声をかけてきた(本当にネグロス島の人は真っ黒)。自分はネグロス島でダイビングのインストラクターをやっているが、決っていないならネグロスに来いと言う誘いだった。
彼からいろんな情報を聞き出し、現在、ネグロスとセブの間のタノン海峡にジンベイザメが多く入ってきているという情報を耳にした。日本でも沖縄のどこかで網の中にいるジンベイザメを見るツアーがあるという話を聞いたことがあるが、自然のジンベイザメは海の中では見た事が無かった。じゃあ、海の外から見たことはあるのか? と思われる方もいらっしゃると思いますが、実は15年ほど前にパース近郊の海を軽飛行機に乗っているときに、水面下にいる3匹のジンベイザメを見たことがある。それも特大のでかいヤツ。10mはあった。それから、大阪の天保山の何とか水族館。まだいるのかな?
マンタ以上に見たい気持ちが高まり、ネグロスへは時間の関係で行けそうにも無いので、彼に紹介してもらったセブ島南部のモアルボアルへ行くことに決めた。彼いわく、そこだったらボートダイブでかなりの確率で見れるだろうとのこと。
もう、2人のオネーチャンの事は頭から抜け、ジンベイザメ、命のような頭に変身してしまった
後数時間で、彼女達ともお別れ! メルセデスは自分の家に泊まるよう言ってくるが、必死にこらえて、3時過ぎにセブ島到着! 船を下りると彼女達は人ごみにまぎれて見えなくなってしまった。あっけない別れだった。ベトナムとは大違い。涙も何もない。「メルセデスのセブの自宅の電話番号でも聞いておくべきだったかな?」と一瞬思ったが、それにしても、時間がいない。モアルボアル行きのバスを探すのが先決だった。




■モアルボアル in Cebu Is

at 2001 05/27 16:17 編集

セブ港に着いた私は、モアルボアル行きのバスがどこから出ているのかは知らなかった。ようやく聞き出したところによると、エアコン付きのバスは午後4時が最終とのこと。それ以降はエアコン無しだ! まあ、しょうがない。あきらめて、サン・ホセ通りを歩いてバスの発着所にたどり着く。ここから約2時間ちょっとの行程だが、5時過ぎのバスに間に合った。外国人の姿は無い。車内は止まっている時は蒸し暑いが、走り出すと海からの風が気持ちいい。普通だったらこのまま眠ってしまうのだが、この時はバスの車窓から景色を眺めていた。頭の中を武田鉄也の“思えば遠くへ来たもんだ”のメロディーのフレーズがくるくると頭の中を廻る。家はどうなっているんだろうか? 仕事はどうなってるのかな? あのドイツのネーチャンはどうしてるのかな? なんてことが頭の中をよぎる。日本を出てから13日目。自分と今回の旅行でいろんなことがあったことを一気に思い出す。
てな事を考えていたら、7時過ぎにモアルボアルのバスターミナルへ到着した。バスを降りると、トライシクルの運チャンが大勢私をめがけてやってくる。安いホテルを紹介するとかナンとか言って30ペソとぬけぬけと言ってくる。1ペソは切りよく3円と私は計算していた。一番安い値段を言ってきた歯のないオヤジのトライシクルに乗った。15ペソ!
ターミナルからホテルなどのあるパナグサマ・ビーチまでおよそ3キロほど。オヤジと下ネタ話しで盛りあがり、ビーチのメイン通りに着く。適当なところで降りると、彼は「ホテルが決ったら、ここに電話をしなよ。いい娘、紹介するから」だと! ちゃっかりその名刺をポケットに入れて、ホテルを探すことにした。ベトナムではあまりお金を使わなかったし、今までただのような場所に宿泊していたので、ここはちょっと奮発して、高級リゾートホテルのようなところに泊まろうと決心した。
海の近くのいかにもリゾートホテルというような1軒のホテルに入っていった。部屋は空いていたが、料金は1泊60ドル。部屋を見せてもらい、ここに2泊することに決める。
今までの宿とは雲泥の差。月とスッポンとはこのことを言うんだろう。部屋の前には、専用のジャグジーまである。ここで、海を眺めながらサンミゲルを飲んだら最高だろう。
荷物を置いて、夕食と明日のダイビングのショップを探すために、外に出た。日本人はいないが、やたらと欧米人が目に付く。それも、即席のフィリピーナとのカップルが…
うらやましくもあったが、一軒のオープンキッチンの食堂に入った。というよりは、道の脇においてあるテーブルに座った。パンシットというヤキソバとサンミゲルビールを注文し、通りを歩く通行人を眺めていた。どこにでもある、あのピンクのネオン。アジアの夜の遊びはこのピンクのネオンなしでは語れない。暇つぶしに行って見るかと思いながら、食堂を後にして、ダイビングショップを探した。今年の秋に、わたしのクラスの学生を研修に連れてくるためのダイビングショップ探しも兼ねていた。3軒ほどあったが、2軒は日本人のスタッフがいてやたらとしつこい。私は日本人だからと言って、なれなれしくしてくるショップには行かないことにしている。日本語が使えるのは便利だが、その分割高。欧米人相手の方がゴチャゴチャ言われないし、安い。気兼ねしなくていい。そして、日本人の客がいないのも私は好む理由。(初心者の方は、日本人スタッフのいる店の方がいいですよ! 自分の身は自分で守るんだから、自分に一番いい店にして下さいね!)
一軒の欧米人の経営しているショップに決めた。ヨーロッパ系のオーナーがいろいろとシステムを説明してくれる。最後にカードの提示を求められた。クレジットカードじゃない。ライセンスカードだ。バックからカードを出し見せると「ヘ〜 先生なの? ちょうどいいところに来た。明日午後からまだ2回目のグループの予約が入っているので、一緒に潜って欲しい!」と言う。ひぇ〜〜〜! 今回は邪魔な学生がいないので、プライベートで楽しもうと思ったのに… ここまで来て、それはないんじゃない? と思うまもなく彼は「3本、全部タダにするから。」と矢継ぎ早に言ってきた。ボートダイブ1本15ドルだったが、タダにはこの私も弱い。2つ返事でOKしてしまった。(本当はこんな事はやっちゃいけないのだが、フィリピンという土地柄、なんでもありなのだけど)
一緒に潜るのはスエーデン人のご夫婦2組だそうだ。オーナーは従業員が今まで何人かいたらしいが、5人やめて2人しか残っていなくて明日の予約をどうしようか困っていたところだったという。初心者ではない事が分かると、彼は適当に自分の機材を選ぶように指示してきた。手入れは行き届いている。自分の体型に合うスーツを見つけて試着していると、彼が「これから明日のスウェーデン人と食事をすることになっているので、紹介するから一緒に来い」という。ピンクのネオンが気になったが、一緒に着いて行くことにした。車に乗って3分ほどでホテルに着いた。何とそのホテルは私の宿泊しているホテルだった。




■スウェーデンって今でもフリーセックスの国なの? in Cebu Is

at 2001 05/29 17:15 編集

スウェーデン人の2組の夫妻は、ロビーにいた。私とダイビングショップの主人はロビーで挨拶を交わし、明日一緒に潜ることを伝えた。2組の夫婦はどちらも20代後半の新婚旅行のカップルだった。オレにもこんな時期があったな?と、仲の良い2組のカップルを見て素直に思った。吹き抜けのロビーを進むと、海岸に面したレストランがあり、そこで食事をする事になった。
席につき、自己紹介から始まった。私を紹介する主人は私のことを、「どこの国の人だっけ?」などと真面目な顔をして聞く。私も調子に乗って「カンボジア!」と答えると、全員が納得してしまった。私達アジア人が日本人とカンボジア人の見分けぐらい簡単につくのだが、欧米人にはそんな違いはわからない。全部ひっくるめて東洋人。翌日、私のパスポートを見せるまで、日本人とは思ってくれなかった。
私達がスウェーデン人とフィンランド人、デンマーク人、見分けがつくだろうか?
それといっしょで、何人だって構わないのだ。
彼等新婚の2組のカップルは、ここフィリピンのモアルボアルへ来て、2週間滞在しているという。私なんて、新婚旅行は仕事の都合で3泊4日だった。うらやましい。
4日前からこのショップでダイビングのオープン・ウオーターの資格を取り、明日、2回目のダイビングらしい。そんな2組を主人と私とアシスタントで潜るのだという。無茶な話だ。私はこの周辺は初めてだし、何か起きたらどうするんだろう?などと考えていた。
ビールを2杯飲んだところで、私は、彼等スウェーデン人の4人に質問をしたくなった。
機会があったら、今までスェーデン人に聞いてみたい事とがあった。それは、
「私達が若かった30年ほど前、スウェーデンといえば“フリーセックスの国”と聞いていた。スウェーデンは今でもそうなのか?」というつまんないこと。
私の若かった頃、スウェーデンに行けばなんでもOKなんて思っていた。セックスだって誰とでもすぐにできる国、と本当に思っていた。
そして20代前半に「アバ」が日本で大ヒットし、“ダンシング・クイーン”た“チキチータ”なんて曲が町中に溢れていた。そんな時も、友達と「スウェーデンいきたいね〜?」なんて、会話をしていた事を思い出す。

その私の質問を聞いた1人の旦那が笑って答えてくれた。「昔はそう言うことは聴いたことがある。でも、今ではそんな事を言うやつは誰もいない。だけど、セックスについての教育だけは他の国よりは進んでいる。小学校で、コンドームの授業もあるし…」などと話してくれた。30年間の疑問にやっと終止符を打つ事ができた。スウェーデンはもうフリーセックスの国じゃないんだ。 そして、私は納得してしまった。
本当はダイビングの前日にお酒をたくさん飲むことはいけないんだが、6人はワインのボトルを7本も空けてしまった。
翌日、8時にロビーに迎えに来るというショップの旦那の言葉を最後に、レストランを後にした。
部屋に戻って、外にあるジャグジーに入りたくなって、冷蔵庫のサンミゲルを片手に入ることにした。服を脱ぎ、すっぽんぽんになって、さあは入ろう、というときに、さっきのスウェーデン人の旦那2人が私の部屋の庭に現れた。彼等も私と同じ格好。「こいつら、ホモ?」と思ったのは当然!
しかし、話を聞くと自分たちの部屋の前には大きなジャグジーがあるので、みんなで入っているから、Nikeも一緒に入ろう、という誘いだった。
ん?? 頭の中を“フリーセックス”も文字が横切ったのはいうまでも無い。今夜はとんだことになるのかも?? などと考えて、2つ返事でOKして、そのままの生まれたままの格好で、庭を横切り、彼等のジャグジーに案内された。
2人の奥さんの頭が見える。うひゃ〜〜〜〜!!




■ジャグジー in Cebu !

at 2001 05/30 21:20 編集

フィリピンのビサヤ諸島のセブ島まで来たわけは、ダイビングだった。そして、来る途中の船の中で、ネグロス島のダイブショップのニーチャンから「タノン海峡で今、ジンベイ鮫が泳いでいる」という一言で、目的地が変わってしまった。本当はセブ島最南端のリロアンに滞在して、スミロン島かアポ島へ行くはずだった。
私の旅行はいつもそう。途中で目的地が変わってきちゃう。でも、そこにそれまでは考えもつかなかった驚きと感動、体験があることだけは知っている。
そんなことで、最初の目的地を急きょ変更してセブ島の南、タノン海峡に面した別名ダイバー天国といわれるモアルボアルに来てしまった。
そして、今、生まれたままの姿でホテルの庭を横切っているのである。それも、スウェーデン人の男2人と!
ジャグジーには彼等の奥さんが2人が入っていた。目の前まで来て気が付いた。“オレは全裸だ!”。
ん??????? 向こうも全裸だ!!! ひぇ〜〜〜  何だか欧米のポルノ映画の場面に似てきた。
こうなったら日本男児! 躊躇せずにザブンとジャグジーの中に入った。酔いも手伝ってか、イヤらしい雰囲気ではなく、いたって健全な雰囲気。
以前、オーストラリア、シドニー郊外の某ヌーディスト・ビーチに行ったことがあるが、自分が思っていたほど人の目は気にならなかった。恥ずかしいと思っていると、まわりは気にしだす。気にしなかったら、周りも気にしない。そんなことを、前回体験して知った。
今回も同じ。イヤらしいと思えばイヤらしいし、こんなもんだと思えばこんなもん。
しかし、自分が若くなかったことに感謝した。若かったら…
30分ほどビールを飲みながら”自分は日本人なんだ。カンボジア人はジョーク!”なんて話をして、また、庭を全裸で帰ってそのまま寝た。翌朝8時出発だから。

翌日、雲ひとつない快晴。
今日は、待ちに待ったダイビング1日目。




■ん? ジンベイサメだって?

at 2001 05/31 17:33 編集

今日は、3月31日。雲一つない快晴のセブ島南西部・モアルボアル。
子供が海水浴に行くような、ウキウキした気分で出発の2時間前、6時には目を覚まし、目の前のジャグジーに跳びこんだ。入って目の前の海を見ると、海の向こうにネグロス島が薄らと見える。そしてスコールでもあったのだろう、虹が架かっている。
時間があったので、朝食も兼ねて近くの市場へ行ってみることにした。
7時前だというので、市場は賑わっていた。色とりどりの魚が売られていて、側ではその魚を使った屋台が数件出ていた。一軒の屋台でイカのアドボ(イカのシチュー)とライスを注文し、客と同じようにカマヤン・スタイル(手掴みで食べるスタイル)で食べていると、一人の漁師が私に声を掛けてきた。
「アンチャン、ダイビングしに来たのか?」
「ハイ」
「今はいい潮がミンダナオの方から入ってきているから、2週間前より魚が多くなった。昨日の夕方もペスカドール島の近辺でジンベイザメ(Whale Shark)が南から北に数匹泳いでいた。」
なんて、会話が始まった。
ジンベイザメだって??? 私が今回見たかった魚が昨日この沖の島にいたと言う。
ジンベイザメは魚類の中でも最も大きな魚で、サメだがプランクトンを主食にしているサメだ。だからプランクトンを求めて行動しているので、そのサメのまわりには魚が多い。
事実、漁師はジンベイザメを見つけるとその日は大漁になると信じている。まさに漁の神様なのだ。しかし、密漁も後を絶たなく、このサメを1匹獲っただけで、1年分の収入になるという話も同時に聞いた。
現在、ルソン島の南部にはジンベイザメが多く集まる場所があり、昔は漁民が捕獲していたが、今では自然保護団体や研究機関の協力を得て、漁民がジンベイザメを観光の手段として生計を立てている。この場所へ行けば、かなりの確率で見れることは分かっているのだが… 
やつぱり、絶対にいる場所で見るよりは、生息域で見ちゃった! と言う方が私は好きだ。
話が面白いので、サンミゲルを1本おごり、私はマンゴジュース(ちょっと似合わないが、ダイビングの前の飲酒はダメなので)を飲みながら、話しに聞き入った。
おっと、出発30分前。用意もしていないし、遅れちゃう! 
丁重にお礼を言って、その漁師と別れた。
8時前、ダイビングショップの主人(彼の名は“ピー” 何でピーなのかは聞かなかったが)がやって来た。5人勢ぞろい。昨晩のジャグジーの光景がまだ目に焼き付いている。
ショップで、スーツに着替え、器材を準備し、裏の海岸まで、タンク2本を担いで往復3回した。おいおい、オレは従業員じゃない、と言いたかったが、タダでは文句は言えない。
器材をタンクにつけるのも私。何から何まで、やらされた。内心“オレだって、お客だよ”とは思ったが、最後までスタッフにさせられてしまった。浜から小船で沖に停泊しているボートまで移動。その間も、スウェーデン人はなにもせず、こっちは重たいタンクを積み下ろし。行く前にもうへばってしまった。海岸に横になってへばっていると、1人の奥さんが「You looks like sea-horse」と言う。ん? Sea-horseっていったら“トド”じゃない!
まあ、私は皆様よりは少々体格がよろしいですから、ウエット着た格好はトドのようだとは、今まで学生には言われてたけど、あんなに綺麗な奥さんに言われちゃ、返す言葉も無かった。それ以降、私の呼び名はNikeではなく、シーホースになってしまった。主人のピーまでも。
ボートに乗り込み、ピーに「Whale Sharkがペスカドール島で出たって? 行こうよ?」と頼みこむと、
「シーホース、良く知ってるな? どこでその情報仕入れた? でも、今はダメ。こいつら、あんな潮流の早いところに行かせたら、おぼれちゃう。午前中は水深10mほどのポイントを見せるから、午後に行こう。彼等は今日は午前中だけの客だから。代りに午後からドイツ人のグループが3名来るから便乗しろ。オレもWhale Sharkを客に見せたいんだから。でも、今の客にはWhale Sharkの話しはするなよ! 絶対に行きたがるのは目に見えているが、彼等の技量では無理だから。」
と言った。
しかし、この水深10メートルが、思わぬ幸運を運んでくるのだった。





■ひぇ〜 あれ、マンタだよ!

at 2001 06/01 09:13 編集

船は浜辺から進路を右に取り、凪のタノン海峡を一路、ホワイトビーチ前というダイビング・スポットに向けて出航した。左手にネグロス島が見える。しかし、10分ほどで着くという主人・ピーの言葉に、私は景色などを見ている暇も無く、タンクの圧力確認やら何やら言われなくても、確認だけはしておいた。事故でも起きたら大変だ。
一通り確認し終わって、助手のフェルナンドと一緒に船首でタバコを吸いながら一服していると、目の前100メートル沖を黒い物体がジャンプした。それも、3回も。
正体は、ダイバー憧れの“マンタ”だった。マンタ、イトマキエイだ。それも、4メートルは楽にありそうな大型だった。今朝の漁師の言葉とおりよい潮が入ってきている証拠だ。マンタもエサはプランクトン。それを追って、ジンベイザメと同様にここタノン海峡に入ってきているのだろう。
私の卒業生でも、マンタにあこがれ何度も沖縄方面などに行っている人がいるが、まだ見た人は少ない。それぐらい珍しい魚が、目の前をジャンプしたのだ。
こりゃ、ひょっとして? と思ったのは言うまでも無い。

フェルナンドと興奮して話をしている間に、船は今日のポイントに到着した。早速、スウェーデン人4人に器材を着け、最初にフェルナンドが水に飛び込んだ。潮の流れが少々あるという。見たところ、水深はなさそうだったが、岸までの距離があるので流されてはぐれない要注意を払わない点をピーから確認し、4人が無事に海に入るのを確認し、最後に“トド”の私は人一倍水飛沫を上げて入水した。サンゴの海特有の透き通る水。透明度は朝なので30mはありそうだ。
まず、フェルナンドと一緒に4人のスウェーデン人のマスク、レギュレター、BCDの点検をして、潜り始めた。おっと、ここには何がいるのだろう。聞き忘れた。
潜ってみると、水深は10m前後のサンゴの群生があり、そこにはたくさんの小魚やイソギンチャクには多くの種類のクマノミが泳いでいた。みたところ、沖縄の海とは変わりなかった。フェルナンドの案内でサンゴから白砂のある方向へ進んだ。そして、目を凝らしてみると、そこはガーデンイール(チンアナゴ)のコロニーだった。これも沖縄方面では見ることができる。砂地から頭と胴体を半分だして潮上に向かって盛んにプランクトンを捕食しているのが見える。そんな光景をみていると、横にいたフェルナンドが前を見ろという合図を私にした。そして、前方を良く見ると黒い塊が近付いて来る。久し振りのダイビングなもんで、圧力の関係か、まともではない頭がますますボーっとしている時に、フイに言われたのだが、最初はピンとこなかった。良く見ると、なんとマンタだった。それも、5匹も!! だんだんこちらに近付いて来る。30m付近でこちらに気がついたのか、急旋回してまた消えて行った。でかかった。4メートル以上はあった。そんなのが5匹も泳いでいる姿は壮観!! 多分、さっきジャンプしたヤツだろう。
こんな浅いところでマンタを見たのは初めてだった。これだから、自然は面白い。予期せぬ珍客が通りすぎてしまうと、ガーデンイールも霞んでしまった。
それにしても、スウェーデン人4人はダイビング暦数回で、ダイバーのあこがれのマンタを見ちゃうなんて、何とラッキーなんだろう。
帰って、学生にこの話しをしたら、全員からブーイングの嵐。今年のダイビングの海外研修はフィリピンに決ったのは言うまでもない。



■やっと出会えたよ、ジンベイザメに!!

at 2001 06/01 22:57 編集

朝、4時過ぎに部屋の電話が鳴った。何事かと思ったら、助手のフェルナンドからの外線電話だった。話しは、いまハディアン島の沖の漁船から、ジンベイザメが2匹、ペスカドール島方向に泳いでいるという情報が入った。ドイツ人に連絡したら行くというので、Nikeも来ないか?という電話だった。
やっと会える。初めて水中の中であのサメを見ることができるのだ。テレビでもなく、水族館でもなく!
2つ返事で、電話を切り、着替えてショップまで走った。ピーが「おめでとう!」と言ってくれる。今回の旅行のフィナーレにふさわしい体験だ。念じていただけのことはあった。
聞くと、昨日朝食を取っていた時に話しかけてきた漁師が、携帯電話でピーの所に知らせてくれたのだった。サンミゲル・ビールの威力はこんな形で効果を発揮した。というよりは、わざわざ日本からジンベイザメを見に来た私に、同情してくれたのかもしれない。会ったら、ちゃんとお礼をしよう。
全員が集合し、器材を積んで、一路、ハデイアン島方向に船は走った。途中、スコールに出会ったが、そんなのどうってことない。40分ほど走って、2隻の漁船がトロトロと走っているのが肉眼で確認できた。彼等の船だ。私達の為に、サメに付き添ってくれていたようだった。5分後、船は漁船の横に着いた。昨日の漁師が手を振っている。そして、指を下に向けている。ピーの操縦席の魚群探知機にも巨大な魚の陰が2つ写っている。私も魚群探知機は見慣れているが、こんなに大きな物体が写っているのははじめて見た。ピーはフェルナンドに操縦を任せ、バケツに入った“アミ(日本の釣りのコマセに使うあのアミ)”を袋に入れ始めた。これを水中で撒いてサメの泳ぎを止めるのだ。でないと、あっという間に行ってしまう。
全員で器材を身につけ、5人はジンベイザメの待つ海へと飛び込んだ。10メートルほど潜り、アミを撒いて数10秒、大きな魚体が2つ、私達の目の前に大きな口をあけながら迫ってきた。


でけ〜〜〜〜!!?


クジラのように大きな魚体は、見るものを圧倒した。ピーは何回かに分けてアミを撒いた。その都度、サメは私達の周りをまわりながら、大きな口でアミを一飲みにしていった。
口の前にはパイロット・フィッシュが、お腹には無数のコバンザメが張りついており、良くテレビで見る光景ソックリだった。下には、シイラが数匹とスマカツオがサメに付いて泳ぎ回っている。
10メートルまでは近付けたが、それより前には進まなかった。あんな大きなヒレで叩かれたら、とんでもないことになるからだ。
まるで潜水艦を横から見ている感じ。これが私の率直な感想。船に上がって聞いたら、体長は12メートルを超えていたという。
ジンベイザメとのデーとは10分足らずで終わってしまった。そして、2匹は真っ青な海の中に消えて行った。
良い思い出がまたできた。私の分厚いログにやっと念願の「Whale Shark」の文字を書き込むことができた。2001年4月1日(エイプリル・フール??)、

”I witness Two Whale Shark at Moalboal in Philippines”

最高に記念になった。漁師のおじいさんに陸に上がってから、サンミゲルを1ダースプレゼントした。
やっぱり、通り一遍の旅行では体験できないことを、地元の人と親しくなることによって得ることのできる“Something”が私は大好きだ。




■さよならフィリピン!! その1

at 2001 06/04 17:50 編集


興奮のさめやらない午前10時、私はピーやフェルナンドに別れを言いにショップを尋ねた。そして、今年の秋に、学生を連れて来るのでその打ち合わせをかねて遅い食事に誘った。最後まで金は要らないというので、サンミゲルとちょっと欲張ってレチョン・バボイ(子ブタの丸焼き)を注文し、話しに入った。彼が最初に言った言葉は、「5月いっぱいでモアルボアルの店を閉めて、セブの最南端、リロアンへ移転する」と言うものであった。私が来るまでには設備も整えられるので、こちらに来てほしいという。
私にとっては、願ったり叶ったり! リロアンだったら、スミロン島やアポ島に行くことができる。フィリピンで潜るならここしかないといわれるほど透明度抜群で魚種が豊かな海域なのである(私的にはエルニドより好き!)。治安の危険度はミンダナオ島が隣接しているので、共産ゲリラの心配は若干あるけど、大丈夫と言うことでここにお願いすることにして、私のアドレスとメールアドレスを書いた紙を手渡して、彼等と別れた。
12時のバスでセブ市までバスに揺られ、3時過ぎにセブのバス発着場に着いた。
さて、今日はどこに泊まろうか? メルセデスの住所を聞いておくんだったと、本当に悔やんだ。
さて、どこに泊まろう。明日は帰国だ。最後の夜、こりゃ酒飲んで暴れるしかないでしょう。
ふと、15年ほど前に錦糸町のフィリピンクラブで知り合ったというか、熱を上げていたというか、そんな女性が今セブの海の近く、カルボン・マーケットで旦那と一緒に雑貨を売っている店を経営している。そこに潜り込もうと考えた。あれ以来、もう会っていないが、クリスマス・カードは来るので、まだ覚えているだろう。
1度、ここに来て、ご主人と酒を飲んだことがあるが、気さくないい男だ。
サウス・バスターミナルから1キロちょっとの距離だが、カルボンと書かれたジプニーが目の前に止まったので、乗り込んだ。運賃、3ペソ!(9円)
マーケットは夕方の買物客で、ごった返していた。夕方、日本人はここへは来ない方がいいかもしれない。ちょっと、ヤバイ雰囲気で、トラブルの多い地区だ。
エマの店はすぐにわかった。店先にいたエマに声をかけると、ビックリした様子。あまりの私の変身ブリに、ちょっと戸惑っていた。要はおデブちゃんに私がなっちゃったわけ!
エマは10年たっても昔のままで、今でも十分に化粧をすれば東京で通用するくらい綺麗だった。旦那も、私に気が付いて、挨拶を交わす。忙しい時間帯で申し訳なかったが、今日の宿泊場所が決まっていないことを伝えると、快く旦那は私に「オッケー ラン!」と返事をしてくれた。家の地図を書いてもらい、一足先に家で待つことにした。家族は旦那の両親と彼等の子供3人で、両親宛に簡単な私の紹介文を書いてくれた。ジプニーで10分ほどのマンダウエ・シティーという、セブ空港からセブ市内に入ってくる途中の、橋を渡ったすぐの辺りの高級住宅街である。カルボン・マーケットから途中ペプシやサンミゲルの工場を通り過ぎ、住所を書いた紙を運転手に見せておいたので、家の前で止めてくれた。




■さよならフィリピン 終わり

at 2001 06/08 21:30 編集

フィリピン最後の夜は、セブのエマの家でフイの珍客に対して、イヤな顔ひとつせずに大変丁重にもてなしてもらった。
シャワーを浴びた後、帰ってきた旦那とエマの3人でセブ市内のコロン通りに面したシーフードの店に入った。食事をしながらたわいもない話しをしていたが、私は彼等と話をしていて現在のマスメディアと現地の実情に少々ズレが生じているのではないかと疑問を持ちはじめた。
日本はどちらかというと、アメリカに優位な報道をするきらいがある。しかし、現地で地元に密着して話を聞いてみると、いろんな意見を聞くことができる。どれが本当かわわからないが、マスメディアはほとんど政府寄りの報道を流す。しかしその反面、民衆はまったく逆の考えを持っていることも多い。
事実、今回フィリピンを旅していて、現在のアロヨ政権の話しになると、俄然みんな話のトーンが上がり出す。多くの国が現政権を認めているが、本国ではそうじゃない。マルコスでもなければ先日逮捕されたエストラーダでもない。じゃあ誰だ?
今回の旅行で一番支持の多かったのは、なんと、コラソン・アキノであった。
フィリピンの政治体制は、日本では考えられない財閥政治だ。彼女も財閥出身だったが、何故かここにきてアキノさんとは正直驚いた。
先週、フィリピン人のいる店にのみに行って、そんな話しをしたのだが、そこでも同じようにアキノが政権を再度握って欲しいという声が多かった。
でも、そんなことは日本の新聞等のマスメディアには登場しない。
外国へ旅行へ行って、きれいなところへ行っておいしいものを食べ、お土産を買ってなんてありきたりの旅行もいいかもしれないが、その国の住民とコミュニケーションをとることによって、その国の実情を知り、その国の抱えている問題を聞き出すのも旅の楽しみ?だといつも考える。たとえ間違った情報を知っても!

今回、3月17日より4月2日までベトナムからフィリピンまで1人で、フラフラと目的意識もなく旅行を続けてきたが、帰りの飛行機の中でつくづく思った。それは、日本はもう立派に先進国なのだ。しかし今まで廻った国々は発展途上国。そんな先進国に住んでいる私も、心の中ではアジア大好きなんて言っていながら、自分では気がつかないけど、別の心が先進国優位という上から彼等を見下ろす気持ちも多分に態度や言葉の端はしから出ていたと思う。そんな見下げた態度を好んで取る人はいないと思うが、アジアの人々は、私達日本人にそんな目で見られていると察知する人もいるんだと言うことを肝に銘じて旅行して欲しいと思う。
よくボランティアで物資を送ったりなんていうのがある。でも、それでいいのだろうか?
私も、15年ほど前にタイの東北部に鉛筆やノートを送ろうというボランティアに参加していた時期があった(今よりももっともっと貧しかった)。しかし、そのグループは5年前に発展的に解散してしまった。
なぜ解散したか? 物資を送るのがイヤになったからでも資金がなくなったからでもない。
あることに気がついたのだった。答えは言わないが考えて欲しい。それが、その国の民衆にとっての援助になるのだから。
最後は強引にまとめてしまったが、また、今年中に、仕事以外のプライベートで2週間程度の旅行にまた1人で出てみたいと最近思っている。悪い虫がまた出てきたようだ。もうこの時点で学校には了解済み! いつ行こうかな? 場所? まだ決っていないが、私のことだからまたとんでもないところに行きそうだ。
もちろん、アジアのどこか! その時期が来たら、お教え致しましょう。






専門学校情報が満載♪ 専門学校情報が満載♪ 生命保険の切り替えはココ
[PR] | RMT防犯カメラ中国SEO対策消費者金融SEO車 買取テンプレート沖縄旅行免許合宿二輪引越し税理士ゴルフ会員権留学レーシックマッサージFX投資信託くりっく365アフィリエイトFXホームページ制作デイトレード海外現地情報ハワイ旅行タイバンコクハワイ レンタカーベスト ハワイ ホテル レーツバリ島Hawaii hotelsHawaii Activitiesbhhrハワイホテルテキスト広告
【運営会社「パラダイムシフト」サービス】 ハワイ現地オプショナルツアーリラックマ) - ビジネスクラス航空券 - 格安航空券(1) - 格安航空券(2) - 海外ホテル - 韓国旅行 - タイムシェア - ホテル 予約
無料ホームページ - 携帯ホームページ - 無料ホームページ作成 - レンタルサーバー - ブログ - ヴィラ - ハワイ コンドミニアム - バリ島 ホテル - プーケット ホテル - タイムシェア - 評判 - Timesell - 格安国際電話 - ホノルルマラソン